いよいよ明日から、2日間にわたって「ハムフェア2026」が開催されます。会場へ足を運ぶ準備をされている方も多いのではないでしょうか。
今年、2026年は日本アマチュア無線連盟(JARL)の創立100周年にあたります。そんな節目の週末を前に、今回は少し趣を変えて、「アマチュア無線という趣味が、かつて国家の命運を左右するほどの力になった」という、なんとも壮大な歴史を辿った YouTube 動画をご紹介したいと思います。
観終わってあらためて、「では、同じ時代の日本のハムはどうしていたのだろう」と考えさせられました。動画の内容を追ったうえで、後半では私たち自身の足元、日本のアマチュア無線100年の歩みにも触れてみます。
動画紹介
How Ham Radio Operators Secretly Powered America's War Effort
設定の音声トラックから日本語で視聴することができます。
この動画は、 先日当ブログでもご紹介したチャンネル「Buried History with Jonathan Reed」のものです。R.L. Drake や RadioShack など、過去に消えていった無線メーカーや技術の「埋もれた歴史」を、落ち着いた語り口で丁寧に辿ってくれるチャンネルです。
今回はメーカーの話ではなく、「庭にアンテナを張り、通販の部品で無線機を自作していた愛好家たちが、いかにして国家の安全保障を支える巨大なインフラに組み込まれていったか」という、30年以上にわたる歴史の連鎖が語られます。約29分と見応えのある内容です。
動画の内容 ~ 趣味の無線が、戦争を支えるまで ~
一通の奇妙な手紙から
動画は、1940年秋のアメリカから始まります。まだ公式には参戦していなかったこの時期、全米およそ5万1千人のアマチュア無線家のもとに、連邦政府から一通の手紙が届きました。軍人でも役人でもない、ただの愛好家たちに対し、指紋と市民権の証明を出すよう求めるものだったといいます。
なぜ平時の政府が、民間無線家の完璧な名簿を必要としたのか。動画は、その答えを30年さかのぼって解き明かしていきます。
タイタニック号が生んだ「名簿」
20世紀初頭の電波空間は、まさに無法地帯でした。免許も周波数の割り当てもなく、自作の火花送信機を使う若者、商船、海軍が、同じ周波数を奪い合っていたと紹介されます。
転機となったのが、1912年のタイタニック号沈没事故です。アマチュア無線の混信が救助を妨げたという批判(歴史的には誇張とも言われるそうです)を受けて、同年に「1912年無線法」が制定されました。動画が面白いのは、この法律によって政府が意図せず「全米の熟練した無線技術者の公式登録簿」を手にしてしまった、と指摘している点です。趣味を規制するはずの制度が、後の動員の土台になっていくわけです。
ARRL の設立と、繰り返される「パターン」
1914年には、ハイラム・パーシー・マキシムらによって「アメリカ無線中継連盟(ARRL)」が設立されます。非力な送信機同士でメッセージをバケツリレー式に中継する、全国ネットワークです。
そして1917年、アメリカが第一次世界大戦に参戦すると、政府は民間無線局に全面停止・解体を命じる一方で、海軍は予備役としてアマチュア無線家を即戦力に大量採用しました。動画では、この「民間の趣味としては封鎖し、軍事要員としては即座に登用する」というパターンが、ここで確立したと語られます。
無線情報局(RID)と、名簿からのスカウト
戦間期の陸軍による試み(1925年の AARS)を経て、動画の核心となるのが、第二次世界大戦前夜に秘密裏に立ち上げられた無線情報局(RID)です。
1940年、14歳からのアマチュア無線家だった FCC のジョージ・スターリング(W1AE / W3DF)が、その責任者に抜擢されます。彼は一般公募を行わず、長年蓄積された免許台帳から直接500人以上のハムに電報を送って雇い入れました。職員の約8割がアマチュア無線家だったといいます。しかも装備は軍の極秘機材ではなく、ハリクラフターズ社の市販通信機や、乗用車を改造した移動式の方向探知車。真珠湾攻撃の前から、テキサスやアラスカ、ハワイなどで監視局が動いていたと紹介されます。
スパイ網の摘発と、驚くべき戦果
真珠湾攻撃の翌日、1941年12月8日に民間アマチュア無線は全面禁止となりますが、RID はその日から動き出します。開戦の2日後には、ワシントンD.C. のドイツ大使館から発せられた不審な電波を三角測量で特定した、というエピソードが語られます。
動画によれば、終戦までに RID が調査した信号は約9,000件、特定・停止させた違法局は約400、割り出したスパイ関係者は約200人。さらに、本土とハワイを結ぶ航空路で遭難しかけた600機以上の軍用機を、高周波方向探知(HF/DF)で誘導して救助したと紹介されます。終戦直前には、ポツダム宣言の受諾をめぐる東京からの外交無線の傍受・監視も担ったといいます。
一人の少年の独創、アル・グロスと Joan-Eleanor
私が動画のなかでいちばん惹かれたのが、アル・グロス(W8PAL)の話です。当時ほとんど手つかずだった100MHz超の超短波帯に着目した彼は、1938年に小型の携帯無線機を自作してしまいます。
これに目をつけた OSS(CIA の前身)が開発したのが、敵地の工作員向けの極秘通信システム「Joan-Eleanor」でした。地上の工作員が持つ送信機「Joan」と、上空を高高度で飛ぶ航空機「Eleanor」の間を 250MHz 超で結ぶことで、敵の方向探知機に捉えられずに直接音声通信ができたといいます。この仕組みは1976年まで機密扱いだったそうです。一人の少年の好奇心が、そのまま最先端の諜報技術になってしまったわけです。
戦後に残されたもの
動画は、「危機が起きてからゼロで作るのではなく、平時から民間の力を組織化しておく」という教訓に触れて締めくくられます。その延長線上に、軍と民間ボランティアが連携する MARS(軍提携無線システム)や、1952年創設の RACES(アマチュア無線非常通信業務)が生まれ、9.11 や 2003年の北米大停電でも活用されて現代まで受け継がれている、と紹介されます。
結びで強調されるのは、これらが最初から壮大な国家計画として設計されたのではなく、「少年の純粋な好奇心」や「屋根裏での独学の試行錯誤」の積み重ねが、国家の危機に際してかけがえのない力として結実した、という点です。ここは、工作好き・自作好きのハムとして、素直に胸を打たれるところでした。
では、日本ではどうだったのか
さて、動画を観ながら私がずっと考えていたのは、「同じ時代、日本のアマチュア無線はどうなっていたのか」ということでした。せっかくの100周年でもありますので、日本側の歩みも簡単に振り返ってみます。
1926年、37名から始まった JARL
日本のラジオ本放送が始まって1年も経たない1926(大正15)年6月12日、わずか37名の盟員によって日本アマチュア無線連盟(JARL)が結成されました。結成を世界へ知らせる電文が、モールスで全世界に打電されています。
We have the honor of informing that we amateurs in Japan have organized today the Japanese Amateur Radio League. Please QST to all stations. (本日、我ら日本のアマチュアは「日本アマチュア無線連盟」を結成せり。全局へ周知されたし。)
翌1927(昭和2)年9月には、JARL 初代総裁の草間貫吉氏らへ短波の実験局免許が交付されました。コールサインは JXAX。これが日本における最初のアマチュア無線局とされています。つまり、2026年6月に「JARL 創立100周年」、2027年9月に「日本におけるアマチュア無線100周年」という二つの節目が続くわけです。
奇しくも同じ、1941年12月8日
動画では、アメリカで51,000人ものハムが登録され、開戦時には全米に約6万人がいたと語られていました。ひるがえって日本はというと、個人の実験局は1941(昭和16)年12月の時点でわずか331局(戦前のピークを約220局とする資料もあります)。桁がいくつも違います。
そして、その日本の実験局に電波の発射禁止が命じられたのが、まさに1941年12月8日。アメリカで民間アマチュア無線の全面禁止令が出たのと、奇しくも同じ日でした。太平洋の両側で、同じ日に、趣味の無線家たちが一斉に鍵を下ろされたことになります。
日本ではその後、戦後になっても発信の再開はなかなか許されませんでした。短波受信機の解禁は1945年秋と比較的早かったのですが、アマチュア無線局としてふたたび電波を出せるようになったのは、1952(昭和27)年7月29日のことです。ここは、開戦と同時にむしろ動き出したアメリカの RID とは、対照的な歩みだったといえます。
日本のハムと「非常通信」
動画の後半で語られた MARS や RACES のように、「平時の趣味を非常時の備えとして組織化する」という発想は、日本にも形を変えて根づいています。日本の電波法にも非常通信の規定があり、非常通信協議会といった枠組みも整えられてきました。実際、阪神・淡路大震災や東日本大震災といった大きな災害の場面で、アマチュア無線が地域の通信を支えた例は少なくありません。
戦後の日本ではその後、春日無線(→トリオ→ Kenwood)、井上電機製作所(→ Icom)、八重洲無線(→ Yaesu)といった国産メーカーが育ち、世界中のシャックに無線機を届けるまでになりました。趣味から出発した技術が、災害通信の現場や、世界の通信機産業を支える力になっていく・・・スケールこそ違えど、動画が描いたのと同じ物語が、この国にもあったのだと思います。
ハムとして思うこと
この動画は、痛快な英雄話しとしてだけ観ることもできますが、その裏には、政府が民間人の名簿を握り、指紋を求め、電波を監視し、時に隣人のスパイを探すという、少し背筋の寒くなる側面もあります。趣味の無線家が国家に組み込まれていく過程は、便利さや誇らしさと、監視や動員の危うさが、常に隣り合わせだったわけです。そこを美談だけで語らないのが、このチャンネルらしい誠実さだと感じました。
それでもなお心に残るのは、すべての出発点が「屋根裏や物置での独学の試行錯誤」だった、という一点です。アル・グロスが超短波帯に手を出したのも、スターリングが14歳で無線を始めたのも、最初はただ電波が面白かったからにほかなりません。M5Stack やマイコンを無線機につないで自分だけのシステムを作って喜んでいる私たちと、根っこは何も変わらないのだと思います。
まとめ
明日からのハムフェア2026は、JARL 創立100周年という節目の開催です。会場には往年の名機から最新機まで、100年ぶんの歴史が並ぶことでしょう。
今回の動画は舞台こそアメリカですが、「趣味の好奇心が、やがて社会を支える力になる」というテーマは、100年を迎える日本のアマチュア無線にも、まっすぐ通じるものだと感じました。会場を歩きながら、あるいはシャックで半田ごてを握りながら、そんな100年の重みに少しだけ思いを馳せてみるのも良いのではないでしょうか。
Buried History のチャンネルには、真空管の歴史や Hallicrafters、Heathkit、Collins など、無線好きにはたまらない「埋もれた歴史」の動画が数多く公開されています。今回の動画とあわせて、ぜひ一度ご覧ください。