JH7VHA 柴田さんから、アマチュア無線と電信に関わる、たいへん重みのある寄稿文をいただきました。
今回は、旧日本海軍の「桜花」についてのレポートです。
「桜花」は、第二次世界大戦末期に使われた、爆弾を積んだ有人ロケット特攻兵器でした。
アマチュア無線を趣味とする私たちにとって、電信符号や電鍵は、日々の交信や趣味の楽しみにつながるものです。しかし、その同じ電信が、かつて戦場の中で、命に関わる合図として使われていた時代もありました。
柴田さんのレポートでは、「桜花」の切り離し手順に使われた電信符号や、搭乗員の方々の思い、そして戦争を二度と繰り返してはならないという強い願いが綴られています。
8月は、原爆、終戦、そして戦没者への思いを新たにする月でもあります。
今回は、いつもの無線機や電鍵の楽しい話題とは少し違いますが、電信を趣味とする者として、心に留めておきたい内容だと思います。
それでは、柴田さんの寄稿文をご紹介します。
旧日本海軍の「桜花」(おうか)です。

第二次世界大戦時の日本には、飛行機で敵艦に体当たりする「神風特別攻撃隊」のほかに
「桜花」という、爆弾を積んだ有人ロケットで敵艦に体当たりする「特別攻撃」がありました。

「桜花」は一式陸上攻撃機に吊されて移動して、目標の近くで切り離してロケットに点火し
搭乗員を乗せたまま敵艦に突入する、出撃すれば、もう戻れずに必ず死ぬ、狂気の兵器でした。

目標を発見すると、搭乗員は戦友に別れを告げ、桜花に搭乗します。


「桜花」を切り離す際は
① 1式陸攻から電信符号「セ」(・---・)打電
② 桜花搭乗員が準備完了の電信符号「ラタ」(・・・-・)を打電すると
1式陸攻内についている赤いランプが「パパパパーパ(・・・-・)」と点滅します。
③ そして1式陸攻から切り離されるという手順でした。
この電信符号「ラタ」は、兵士たちから「終わりの信号」と言われていました。
「ラタ」は現在も、和文電信の送信終了符号として使われています。





80年以上前、若者達は、自ら志願させられて、「桜花」に乗って散っていったのです。
成功率は極めて低かったそうです。
桜花を搭載して動きが鈍くなった1式陸攻は、遠くからレーダーで捕捉され、集中砲火を浴びて撃墜されました。
撃墜されたパイロットを、どんなに危険をおかしてでも救出しようとするアメリカ軍と
パイロットごと敵艦に体当たりさせる日本軍
最前線で、その光景を見た日本人は、どう感じたのでしょうか?

戦後「桜花」はアメリカのスミソニアン博物館に「baka bomb(バカボン)」という名前で展示されていて
それを見た「桜花」の元搭乗員は、その場で泣き崩れたそうです。
「桜花」のほかにも旧日本軍には「人間魚雷 回天」「甲標的」等、狂気の兵器がありました。
搭乗員はパイロットを目指して訓練をしていましたが、飛行機の数が少なくなったことから
このような兵器で特別攻撃に出撃しました。
戦後、生き残った元搭乗員はYouTubeで
「戦争は、絶対にしてはいけない」
「二度とこのような兵器を造ってはならない」と語っておられます。
今年(2026年) 元桜花搭乗員の最後の1人の方が、お亡くなりになりました。
8月15日 全ての戦没者に、感謝と哀悼の意を込め「電信」を打ちます。

電鍵は、旧日本海軍の電鍵を使用します。

「ラタ」は打ちません。
■ ■ ■
柴田さん、今回も貴重な寄稿をありがとうございました。
「桜花」という名前は知っていても、その切り離しの手順に電信符号が関わっていたこと、そして「ラタ」という符号が兵士たちの間で「終わりの信号」と呼ばれていたことを、あらためて重く受け止めました。
私たちが普段、趣味として楽しんでいる電信。
その音は、今では交信の楽しさや、無線仲間とのつながりを感じさせてくれるものです。しかし、かつてその符号が、戦場で命の最後に関わる合図として使われていたという事実を知ると、電信というものに対する見方も少し変わってきます。
戦争で亡くなられた方々の犠牲の上に、今の平和な時代があります。
その平和な時代に、私たちは電鍵を握り、電信の音を楽しむことができています。このことを、当たり前のこととして流してはいけないのだと思います。
8月15日に、旧日本海軍の電鍵で戦没者への感謝と哀悼の電信を打つという柴田さんの思いにも、深く感じるものがありました。
今回の寄稿は、アマチュア無線や電信という趣味を通じて、戦争と平和について考えるきっかけになる内容でした。
柴田さん、たいへん貴重なレポートをありがとうございました。