このところ、「孤独・孤立」という言葉を本当によく耳にするようになりました。中でも、ひとり暮らしの中高年男性の孤独は深刻だ、という話をあちこちで見聞きします。
ある調査では、友達が一人もいないと答えた人の割合は、50代の男性でおよそ4割にのぼるそうです。年代が上がるほどこの数字は増えていき、70代以上では半数を超えるとも言われています。考えてみれば無理もない話で、現役時代は仕事を通じて毎日のように誰かと言葉を交わしていたのに、定年で職場を離れた途端、人付き合いそのものがすっと消えてしまう。気づけば一日中、誰とも一言も話さない日がある・・・そんなケースは決して珍しくありません。
しかも、年を重ねてから新しく友人を作るというのは、思いのほかハードルが高いものです。学生時代や若いころのように、放っておいても人とつながれる環境はもうありません。さらに男性の場合、「寂しいけれど、人に頼るのはどうも気が引ける」という心理も働きがちです。弱音を吐くのが苦手で、自分から輪に入っていくのも気恥ずかしい。その結果、ますます殻にこもってしまう。
もっとも、孤独は中高年だけのものではないように思います。若い世代に目を向ければ、不登校の小中学生は年々増え続け、ここ数年は過去最多を更新しているといいます。学校や社会とのつながりをうまく結べないまま、家にこもりがちになってしまう――いわゆる「ひきこもり」の状態にある人も、決して少なくないと言われています。スマホや SNS で四六時中、誰かとつながっているはずの若い人たちが、かえって深い孤独を抱えている。そんな話も、よく耳にするようになりました。正確な統計のことはともかく、肌感覚として、その数は増えているように感じます。
つまりこれは、もはや特定の世代だけの問題ではなく、老若男女を問わない「孤独の時代」とでも呼ぶべき状況なのかもしれません。
大事なのは「友達」そのものではない。
孤独・孤立をめぐる議論の中で、私がなるほどと思わされた指摘があります。それは、本当に大切なのは「友達がいる」ことそのものではなく、定期的に人と関わる機会があり、会話をする相手がいて、外に出かける予定があるということだ、という話です。しかもその相手は、必ずしも "友達" と呼べるような深い間柄である必要はない、というのです。
この話を聞いたとき、私は真っ先に「それって、まさにアマチュア無線そのものじゃないか」と思いました。
定期的に人と関わる機会。会話をする相手。外に出かける予定。アマチュア無線という趣味は、その三つを、ごく自然なかたちで私たちに与えてくれているからです。

この統計では、孤独感(UCLA-LS3)と社会的孤立は30〜50歳代でピークとなる「中年層ピーク型」ですが、つながりの希薄さは加齢とともに上昇し、80歳以上で最大(10.8%)となっています。孤独を強く感じる層と交流が乏しい層は年齢的にずれており、高齢者は交流が少なくても孤独・孤立の自覚は相対的に低いというデータになっています。
「友達を作る」のではなく、「つながりが生まれる」
新しい友人を作ろうと意気込むと、どうしても身構えてしまいます。何を話せばいいのか、嫌がられないか、今さら馴れ馴れしくしていいものか・・・。とくに男性は、この最初の一歩でつまずきがちです。
ところがアマチュア無線では、「友達を作ろう」と力む必要がありません。CQ を出して応答があれば、そこにもう会話が生まれます。きっかけはリグの調子でもアンテナの話でも、今日のコンディションでも何でもいい。共通の趣味があるというだけで、初対面の相手とも自然に言葉が交わせる。「つながろう」とがんばるのではなく、電波を出していれば「つながりが生まれている」。この気軽さこそ、無線の大きな魅力だと私は思っています。
毎日、誰かと話せる場所がある
ダイヤルを回せば、そこには誰かの声があります。決まった時間に開かれるラウンド QSO やロールコールに顔を出せば、顔なじみの局と「やあ、今日も元気ですか」と声を交わせます。
一日中、誰とも話さない――。孤独のいちばんつらい部分は、案外このあたりにあるのかもしれません。その点、無線機のスイッチを入れさえすれば、いつでも「話せる相手がいる場所」につながれるというのは、想像以上に心強いことです。たとえ短い交信であっても、人の声を聞き、自分の声を届ける。その積み重ねが、ひとりの時間をやわらかく支えてくれます。
匿名ではないからこそ、安心してつながれる
人とつながる手段なら、いまや SNS をはじめ、ネット上にいくらでもあります。けれども、そうした場の多くは「匿名」が前提です。相手がどこの誰なのかわからない。だからこそ気軽でもあるのですが、その裏返しとして、心ない言葉や無責任な振る舞いが飛び交いやすく、知らず知らずのうちに心をすり減らしてしまう・・・そんな経験をされた方も少なくないと思います。
その点で、アマチュア無線は決定的に違います。アマチュア無線は国家資格にもとづく免許を持って行う趣味であり、一人ひとりに「コールサイン」という、世界にただ一つの識別符号が与えられています。交信のたびに、私たちはこのコールサインを名乗ります。つまり、お互いが「どこの誰なのか」を明らかにしたうえで言葉を交わす世界なのです。
匿名でないというのは、一見すると不自由に思えるかもしれません。けれども実際には、これがなんとも言えない安心感を生みます。名前を明かして向き合う相手だからこそ、誰もが自然と節度を保ち、相手を思いやる。無責任な発言で人を傷つけるようなことは、まず起きません。顔は見えなくても、確かにそこに「ひとりの人間」がいる。だから安心して、心を開いてつながることができる。ネットの匿名のつながりとは、つながりの "重み" がまるで違うのです。
孤独を埋めたいと思ったとき、いちばん怖いのは、つながった先で逆に傷ついてしまうことかもしれません。その心配が限りなく小さい――というより、お互いに身元を明かし合っているからこそ信頼が前提になっている世界。これは、免許を持って行うアマチュア無線ならではの、大きな美点だと私は思っています。
「頼りたくない」人にこそ
「寂しいけれど、人に頼りたくはない」。この気持ちは、私にもよくわかります。
その点でも、アマチュア無線はよくできています。無線の世界は基本的に対等です。誰かに助けを求めるというより、「この無線機の機能、どう使うのが良いんでしょうね」「そのアンテナ、調子はどうですか」と、技術や趣味の話として自然に会話が始まる。気がつけば、教えたり教わったり、励まし合ったりしている。頼る・頼られるという重たい関係ではなく、同じものが好きな者同士の、ゆるやかな横のつながり。プライドを傷つけずに人と関われるというのは、思いのほか大切なことだと思います。
外に出かける理由になる
アマチュア無線は、家の中だけの趣味ではありません。天気の良い日に近くの公園や河原へ出かけての移動運用、年に一度のハムフェアやイベント、地域のクラブのミーティング、そして QSL カードのやり取り――。
「次の週末は、あの山から運用してみよう」「来月のイベントには顔を出そう」。そんな予定がひとつあるだけで、日々の張り合いはずいぶん変わってきます。外に出かける目的があること、そしてそこで誰かと会えること。これもまた、孤独を遠ざけてくれる大事な要素なのだと思います。
声がなくても、つながれる ― CW という選択肢
そしてもうひとつ、私が声を大にしてお勧めしたいのがモールス通信です。
声を出して話すのがどうも億劫だ、人と面と向かうのは少し苦手だ――そういう方でも、電鍵を叩けば、そこには確かに誰かとのつながりが生まれます。トン・ツーのリズムだけで交わす会話には、声とはまた違った、静かであたたかい手ざわりがあります。和文電信ともなれば、まるで文通のように、相手の人柄までもがにじみ出てくる。年齢も、体調も、口下手であることも、ここではあまり関係ありません。指先ひとつで、世界の誰かと心を通わせられる。これほどミニマルで、それでいて豊かなつながりは、なかなかないと私は思っています。
おわりに
アマチュア無線は、孤独を一瞬で消し去る特効薬ではありません。けれども、ひとりの時間を大切にしながらも、決して "ひとりぼっち" にはならずにいられる――そんな、ゆるやかで、しかし確かなつながりを、この趣味は静かに用意してくれています。
定期的に人と関われる場所があり、いつでも話せる相手がいて、外に出かける楽しみがある。難しい人付き合いの作法はいりません。ただ無線機のスイッチを入れ、電波を出すだけでいい。
もし身近に、孤独を抱えている方がいらっしゃったら――あるいは、ご自身がふと寂しさを感じることがあったら――この趣味のことを、そっと思い出してみてください。お空の上には、いつもあなたの声を待っている誰かがいます。
そして、すでにアマチュア無線を楽しんでいる皆さんに、ひとつお願いがあります。何かの機会があれば、ぜひこの趣味のことを、まわりの方に紹介してあげてほしいのです。ご近所の方でも、退職された元の同僚でも、しばらく無線から離れているかつての仲間でも構いません。「こういう世界があるんですよ」と一言伝えるだけで、その方の毎日に、新しいつながりの入り口が開けるかもしれません。
私たちにとっては当たり前になっているこの趣味の良さも、知らない人にとっては思いもよらない発見です。孤独がこれだけ語られる時代だからこそ、アマチュア無線という "つながりの場" を、もっと多くの人へ。その小さな橋渡しが、誰かの寂しさをそっと和らげる一歩になると、私は信じています。