JH1LHVの雑記帳

和文電信好きなアマチュア無線家の雑記帳

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【情報 TNX】旧陸軍能代東雲飛行場

私の友人である JH7VHA 柴田さん が、生まれ育った町に残る歴史的な出来事──「旧陸軍能代東雲飛行場」にまつわる貴重なお話を寄せてくださいました。

そこには、地元の人々や少年兵たちが過ごした日々、そして戦争がもたらした悲劇と、それを今に伝える大切な記憶が刻まれています。
戦後80年を迎える今年、この貴重な記録は、皆さんにとっても意義があるものと感じています。

それでは、柴田さんの記事をご覧ください。

今年(2025年 令和7年)は、終戦(1945年 昭和20年)から80年の年になります。
つまり、終戦時に生まれた赤ちゃんは80歳
10歳の子どもは90歳
20歳の大人は100歳になります。
その人達は、長い間、私たちに戦争の悲惨さを伝えてくださっていました。
今も伝えてくださっている方も、いらっしゃいます。
終戦から17年後に生まれた私は63歳になりますが
この歳になって、初めて知る戦前中後の出来事もあります。

旧日本陸軍東雲(しののめ)飛行場 撮影年月日1948/05/16(USA M1020 82)






私が生まれ育った、秋田県能代市には、旧陸軍の「東雲飛行場」がありました。
東の雲と書いて「しののめ」 なんと日本らしい名前でしょう。
この美しい名前の地で少年兵達は特攻訓練を受けていました。
その後、鹿児島県知覧(ちらん)に配属され「神風特別攻撃隊員」として出撃したのです。
旧陸軍は、この東雲飛行場を本土決戦に備えた、最後の特攻基地にしようと、考えていました。
高さ4メートルほどの土盛りをし、飛行機がすっぽり入る退避所「掩体壕(えんたいごう)」
を造る作業は、住民や学校から動員された子どもたちが実施しました。

訓練中の事故で兵士だけでなく、巻き添いで住民の子どもが亡くなる悲劇があったそうです。
軍により「かんこうれい」が敷かれたので、口外することは、禁止されました。
葬式をすることも禁じられたのです。
しかし、昨日まで元気に東雲大地を走り回っていた子どもが、いなくなったのですから
近所の人達は気がついたと思います。
恐ろしい時代です。

現在は、地元新聞やインターネットに、戦争中の東雲飛行場の出来事が掲載されています。

東雲飛行場跡(現在)

飛行場跡は現在、秋田県立能代支援学校と、廃校した能代西高校跡になっています。

旧料亭 金勇(かねゆう)


兵士たちは、料亭「金勇」に滞在していました。
東雲飛行場から米代川を渡った場所にある金勇の大広間には少年兵たちが
中広間には下士官たちが
小部屋には、指揮官等が寝泊まりしていました。
木材産業で栄華を極めた木都能代の料亭は、軍に徴用されていました。

大広間 110畳


大広間の天井には、天然秋田杉の一畳板が四畳半仕切りで使用されています。
少年兵たちは、寝る時にその天井を見て、何を思ったのでしょう。
遠い故郷の、お母さんや家族、友達や恋人のことを思ったに違いありません。

中広間   42畳

中広間の天井は天然秋田杉の一枚板(9m)です。

小部屋


私はこの町で生まれ育ち、この料亭の小部屋での宴や、おせち料理を食べた思い出があります。
大広間で結婚披露宴を催しました。
しかし、ここに少年兵達がいたことを知ったのは最近になってからです。
彼らは、敵に体当たり攻撃をするために、激しい訓練を受けていたのです。
料亭なのに、食べ物は貧しいものだったそうです。

私は中学生の時に、アマチュア無線の免許をとり、モールス信号を覚えました。
モールス信号とは「ー・ー・」のように、短点と長点の組み合わせにより文字を表すもので
第二次世界大戦中に最も使用された通信手段です。
高校生以降も、モールス信号による交信を楽しんでいました。
楽しんでいた私と同じ年頃の少年兵は、爆弾を積んで飛行機で敵艦に体当たりするときに
モールス信号を送信しながら突入しました。
モールス信号が途切れた瞬間に、彼らは英霊となったのです。

二度とこのような悲劇を繰り返すことのないように
戦争の悲惨さを次世代に伝える責任があるのは
戦後の豊かな時代に生まれ育った、私たち全ての人々ではないでしょうか。

旧日本陸(右)海(左)軍の電鍵です。


8月15日 全ての戦没者に感謝と哀悼の意を込め、モールス信号を打ちます。

ニ    ー・ー・    
ッ    ・ーー・    
ポ    ー・・      ・・ーー・
ン    ・ー・ー・    
ハ    ー・・・    

セ    ・ーーー・
カ    ・ー・・
イ    ・ー
イ    ・ー
チ    ・・ー・

ヘ    ・    
イ    ・ー    
ワ    ー・ー    
デ    ・ー・ーー   ・・    

ユ    ー・・ーー
タ    ー・
カ    ・ー・・
ナ    ・ー・

ク    ・・・ー
ニ    ー・ー・
ニ    ー・ー・

ナ    ・ー・
リ    ーー・
マ    ー・・ー
シ    ーー・ー・
タ    ー・

ヤ    ・ーー
ス    ーーー・ー
ラ    ・・・
カ    ・ー・・
ニ    ー・ー・

セ    ・ーー-・
カ    ・ー・・
イ    ・ー
ヘ    ・
イ    ・ー
ワ    ー・ー
ヨ    ーー

エ    ー・ー-ー
イ    ・ー
エ    ー・ー-ー
ン    ・ー・ー・
ナ    ・ー・
レ    ーーー

二    ・・ーーー
〇    ーーーーー
二    ・・ーーー
五    ・・・・・
〇    ーーーーー
八    ーーー・・
一    ・ーーーー
五    ・・・・・

------- 2025/08/11 追記 -------
20年8月9日 岩手沖の米軍空母からグラマンが 1000 ポンド爆弾を搭載して能代上空に襲来しました。ターゲット No.1 は東雲飛行場です。しかし厚い雲に覆われていたため、予定を変更して岩手を空襲しました。もし晴れていたら飛行場も能代の町も完全に破壊されていたと思われます。私は生まれてこなかったかもしれません。
戦争は絶対にしてはなりません。

 

■ ■ ■

柴田さんの文章からは、戦争の記憶が遠い過去の出来事ではなく、今なお私たちに問いかけてくる重みを感じます。

平和な時代にモールス信号を楽しむことができるのは、多くの犠牲と戦後の努力の上に成り立っているという事実を、改めて心に刻まされます。
「二度と繰り返してはならない」という思いとともに、この電鍵から響く符号を、平和の証として次の世代に伝えていきたいものです。

JH7VHA 柴田さん、戦争の実相と平和の尊さを伝える貴重な投稿を、本当にありがとうございました。