私たちアマチュア無線家にとって、モールスは単なる通信手段ではなく、先人たちの技術と想いが刻まれた「歴史の声」とも言えます。今回、友人である JH7VHA 柴田さんより、戦時中に設立された「陸軍少年通信兵学校」について記述された書籍を読み、その内容を基にした貴重な寄稿をお寄せいただきました。
昭和20年、本土決戦を見据えて設立されたこの学校では、若き少年たちが厳しい訓練の中でモールス通信技術を習得し、やがては戦地へと送り出されました。その背景には、電信がいかに軍事上重要視されていたか、そして若者たちがいかに純粋にその任務に向き合っていたかが映し出されています。
戦後80年近くが過ぎ、我々が趣味として親しんでいる無線の原点とも言える「モールス通信」が、かつて多くの若者の命と引き換えに育まれてきたという事実に、今一度思いを馳せたいと思います。
それでは、柴田さんの記事をご覧ください。
1945(昭和20)年7月26日、アメリカ、イギリス、中国はポツダム宣言(日本への降伏要求の最終宣言)を発しました。
その頃、東村山市にあった「陸軍少年通信兵学校」では本土決戦に備え激しい訓練が行われていました。(最期の少年通信兵たちです)
東村山ふるさと歴史館で頒布されている本の表紙です。
右ページ上側、94式5号無線機(左が送信機、右が受信機、上が電鍵)です。
授業風景です。
日本の徴兵制度は、20歳以上が対象でしたが、昭和に入ると予科練(海軍)、少年飛行兵、少年戦車兵(陸軍)とともに海軍少年通信手、陸軍少年通信兵制度が始まりました。
理由は、戦時において、通信は絶対に必要な技術であり、その通信手段の多くががモールス信号によるものであることから、兵士にモールス信号を修得させることが軍事上重要になりました。
送受信を分速80字以上で、できるようにすることが目標でしたが 20 歳で徴兵された新兵に訓練しても、その目標をクリアする者は 2 % に過ぎませんでした。
そこで、より若いうちから訓練して、修業期間1年半で目標レベルをクリアするように激しい訓練が実施されました。
訓練は、合調法(イトー、ロジョウホコー)ではなく、音像法で行われました。
合調法では、高速送受信に対応できないことが判明して、変更しました。
戦車や、トラックに乗っての送受信、方向探知訓練等、実戦的な訓練。
暗号法(乱数転記、非算術加法、減法)の訓練も実施されました。
輸送船が沈められた場合に備え、遠泳の訓練、カナヅチの人も海に突き落とされつつも全員が遠泳を行うことができたそうです。
国語、英語、歴史、地理、数学、電気磁気学、無線工学、通信機器の故障修理方法等の授業が実施されました。
教官と学生の関係は、体罰も伴うものでしたが、愛情があるものだったようです。
門限に遅れた学生と一緒に教官が、食事抜きで懲罰部屋に寝泊まりしたこともあったそうです。
教官が自宅に学生を招いて、食事を振る舞うこともあったそうです。
地方出身の学生は、故郷へは帰れません。教官の奥様が手料理を振る舞ったのです。
お頭付きの鯛の代わりに、頭付きの煮干し。できる限りの最高のおもてなしをしてくれたのです。
「うれしかっです」
しかし、「何よりもうれしかったのは、母が遠くから面会に来てくれたことです」
学校と地域住民の関係も良好で、農作業を手伝った少年兵に農家が食事をごちそうしたそうです。
少年通信兵学校の卒業式には町民も手伝いで参加しました。
そして、少年兵が出征する時、町民は、汽車から降りて少年兵に席をゆずり集まった町民全員が汽車の煙が見えなくなるまで手を振って見送ったそうです。
その後、前線に配置された少年通信兵達は、みなさんがご存じの運命をたどったのです。
輸送船が撃沈されて多くの少年が亡くなる悲劇もありました。
異国の陸や海に散ったのです。
昭和20年8月14日 日本は「ポツダム宣言受諾」を回答しました。
そして、8月15日 玉音放送がラジオから流れ、戦争が終わりました。
日本の長い歴史の中で初めて、硫黄島、沖縄に続いて、日本列島全土が外国に奪われたのです。
陸軍少年通信兵学校跡地には現在、多くの学校が設置され、平和で文教的な地域となっています。
海に散った海軍少年通信兵です。
旧日本陸軍の電鍵です。
「二度とこのような悲劇を繰り返すことのないよう」
全ての戦没者の御霊に、哀悼の意を込め、電信を打ちます。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
「世界平和よ 永遠なれ」
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柴田さんの寄稿を拝読し、あらためて通信という技術の重み、そしてそれに人生を懸けた少年たちの歩みに胸が熱くなりました。
「電信を打つ」という行為は、単なる符号のやり取りではなく、過去と現在を繋ぐ静かな祈りでもあります。
中でも特に印象深かったのは、陸軍少年通信兵学校において、指導法が「合調法」から「音像法(音感法)」へと改められた点です。合調法とは、特定の音をカタカナに置き換えて記憶する暗記型の学習法で、ある程度の速度までは通用するものの、それを超える高速での送受信には限界があると、私自身も日頃から感じておりました。
和文電信において自然なやりとりを行うためには、音と意味を直接結びつける「音像法」による学習が不可欠です。この考え方は、現代の私たち CW 愛好者にとっても非常に示唆に富むものであり、実際の運用の中で多くの方が直面する “壁” とも重なります。
戦時という極限状態の中で、少年たちがこの音像法によって高い通信能力を身につけていったという事実に、通信技術にかける熱意と覚悟を感じずにはいられません。
戦争という時代に電信を学び、命を懸けてその任務を果たした少年通信兵たち。その存在を語り継ぐことは、現代を生きる私たちアマチュア無線家の務めの一つかもしれません。
JH7VHA 柴田さん、貴重な投稿を本当にありがとうございました。